2008年9月10日開催
第1回「歌の好きな仲間たち&津軽ひろ子ショー」
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津軽ひろ子人生の歩みと福祉活動:津軽ひろ子は青森県黒石市に
生まれる。ひろ子には2つ違いの妹がいました。5才の時三味線を引
き歩いて門付け家業。 12才で両親を失い、ひろ子とたみ子は流れ
歩いて大阪はかしまし娘の内弟子となり、厳しい修業が続く。ちゃっ
かり娘としてコンビを組み、妹たみ子と今お笑い界で活躍している敏
江、冷児の敏江とひろ子の3人は大きな劇場に出るようになり話題
の人となる。
そして4年後、敏江の結婚で解散。津軽姉妹として名前を変え、森
繁久弥先生の推薦もあって歌謡界にデビュー、星野哲郎先生の作
品で40数枚のレコードをだしたが売れなかった。昭和52年10月、
妹たみ子は不治の病につく、病名心筋梗塞 腎臓 高血圧280、人
工透析開始、7年間闘病生活ののち昭和58年7月16日意識を失い
植物人間となる。40日間の看病のかいもなく8月25日、33才の若
さでこの世を去った。
長い闘病生活、数えることのできない程の全国の皆様から寄せられ
た励ましの言葉、そして愛の献血。たとえ1分1秒でも長く生きてほし
い・・・・・・。 幼いころから苦労しながら同じ夢を追い続けた姉妹、そ
の妹たみ子は全国の皆様方から寄せられた、尊い愛の奇跡にむくい
ることができなかった。一輪の花は若くして散ってしまったのです。
津軽ひろ子には誰も身寄りがいない。幼い頃の両親との別れ、そ
して妹民子との別れ、 妹たみ子の短い人生を支え、力付け、励まし
てくれた全国の今日までお世話になった大勢の皆様方に、姉ひろ子
は亡き妹たみ子に代わって歌によって全国の皆様に恩返しが出来る
ものならば・・・・・・。妹たみ子の遺志を継ぎご奉仕したい、微力では
ありますが、社会福祉に役立つものならば・・・・・・、それは姉津軽ひ
ろ子に託された「人の命の尊さの心」であった。声の続く限り、力の
続く限り、歌がこの世にある限り、お客様のいる限り、津軽のじょっぱ
りで明日に向かって唄い続けています。
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